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エネスコ回想録

2009/05/28 02:48
 隣市からの取り寄せを県立図書館に頼んでおいた『エネスコ回想録』が届いて、早速読んだ。
 序章は良いがその後の初め2・3章ぐらいは、翻訳が拙く、こりゃまずいなと思いながら何とか読み進めたが、その後はむしろしっかりした日本語になり、面白くて一気に読めた。
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値段

2009/05/18 18:57
クラヴィコードという楽器が好きで、数年前このCDを買った。しかし、ものすごい値段になっている。


シークレット・モーツァルト~クラヴィコード作品集
BMG JAPAN
2006-07-26
ホグウッド(クリストファー)

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 まあなんというか、オークションとかで値上がりするならともかく、初めからこの値段で売ろうってのは、どうかね。足元見てて腹が立つ、て以上に、そもそも、反感買って誰も買ってくれなくなる、てのがオチなんじゃないの。特にクラシックファンは買いなれてるから、余程のことがない限り、こんな無茶な買い物はせんだろうに。

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メトロノーム

2009/05/16 17:23
 メトロノームというのは、均等な時間間隔で音を出す機械だが、どうしてこんなものが出来たのか。
人間がそれに類似した時間間隔を備えているからである。人間が好む音楽が、均等な時間単位とはまるで異なる組織を持っているとしたら、少なくとも音楽のための道具としては、メトロノームなどは発明されなかったはずである。

 では、そうして作られた道具は、人間の音楽感覚に十分に合致するか。答えはおそらく否である。
それを証明するには、経験を参照するだけで十分である。気持ちのいいリズムの揺れというものは、誰もが聞きたがるものだが、自分からメトロノームの均等な時間単位のリズムに浸りたがるものはおそらく皆無である。そもそも、それを求めること自体が、おそらく不可能である。何故なら人間にはそうした能力自体が備わっていないからである。

 要するに、メトロノーム的均等時間というのは、過度の抽象的観念なのである。
 これは、人間とルールの関係について、一般的に言えることである。ルールの中に人間がいるのではない。人間の中にルールがあるのだ。
 現実からの不完全な抽象物に、現実のほうを近づけようとする試みは、分野を問わず滑稽なものである。
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メニューイン

2009/05/12 20:41
 少し前に、正確な演奏とかcogniton がどうこうとか書いたが、そのような意味での正確さ、頭の中の音楽と演奏として出てきた音楽の間の距離が非常に近いのではないか、という風に思われる、そういう演奏をするのがメニューインとういう人である。





これらを聴いていると、頭の名から直接出てきたものを、そのまま耳にしているような、もっといえば、こちらの頭の中まで何の障害もなく音楽が伝播されているような感覚さえある。

 こんなことを考えながら、The Art of Violin を見ていたら、メニューインの演奏の直接さについて、パールマンが似たようなことを言っている。これはもしかして、わし、これを見てそのまま自分の意見のつもりで言っていたのかもしれない、という疑惑が浮かび上がる。パールマンは「直接心に〜」みたいに言っているが、この heart to heart という感じはわし流に言えば head to head ということなので、殆どただの言い換えに近い。
 こうした内容のことは、自分自身でさえ欺いてしまえるもので、自分でそう考えるにいたったのか、ただ他人の思考をなぞってしまっただけなのか、もはや判定できない。ただ、後者であるとするのはやりきれないので、そうでないこを自分にも証すために、新しいことを言っておかねばならない。

 これは多分知る限り誰も言っていないことだと思うが、メニューインの演奏には、彼が、バイオリンという楽器を弾いている、ということを、忘れさせるような不思議さがある。我々は普段、何か言葉を発するとき、話し手も聴き手も、それが言葉であることを意識しない。ただその内容に、耳を傾ける。これによく似ている。
 いくらかの奏者については、これこそバイオリンの音だ、という賞賛すべき美質を見出すこと、聞き分けることが可能である。例えばミルシテインなど、バイオリンとはこのように音を出すものなのだ、という説得力が、演奏の端々に現れていて、こちらは聴きながらそのことに気付いているし、そのことに恍惚感すら覚えるほどである。
 しかしメニューインの演奏の場合、強力に演奏に惹きつけられながら、楽器がどのように鳴っているのか、とか、そうしたことに対するこちらの注意が、不思議と抜け落ちてしまっていることに、ふと気付くことがある。聴く側のそうした注意力を強制的に解除して、自分が表現しようとしている音楽、自分の感じている音楽を聴き手にも無理やり共感させるような、そんな不思議な力があって、こちらはいつの間にかその重力の中に取り込まれてしまっている。
 そうした共感を喚起する能力の持ち主というのは、霊媒体質というか、トランス的な精神状態を想像させるものだと思うが、しかし、『Violin of the century』や『Concert Magic』などのドキュメンタリーを見ていても、まあ別に見なくても判るが、彼自身は、自分のしている事を俯瞰できる、非常に conscious な人間のようである。

 一見すると、非常に矛盾しているように思うが、しかし、演奏という行為が抱える本質的な矛盾というものを考えると、むしろメニューイン現象は、その矛盾と非常に整合性が取れているともいえる。
 なにか訳がわからないことを言っているようであるが、その本質的な矛盾とは、先日の cognition やら正確さと関わることだが、いわゆる observer's paradox、観測者の矛盾である。つまり、観測するという行為そのものが、対象に影響を与えてしまうため、厳密に客観的な観測は不可能である、ということで、意識的な演奏についても同様のことがいえるはずである。
 普通の人間の場合、頭の中に流れる音楽を取り出そうとして、実際に楽器を演奏すると、自分で出したその音に引きずられて、頭の中の音楽の姿も変化してしまい、意識的な方法では、決してそれを捕まえることができないし、元々いた場所に戻ることも出来ない。
 ところがメニューインの演奏については、少なくともこちら側の目と耳には、そのような葛藤が生まれているようには見えない。
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顎あてナシでビオラを弾く。

2009/05/07 00:20
 自作テールピース第2号装着より、ついに顎あての使用を放棄した。モダン楽器、モダンレパートリーでは、殆ど狂気の沙汰である。しかもアマオケであまり見かけない、42cm弱の、割と大き目のビオラで・・・。

 そして昨日、オケで初本番。
 2ヶ月ほど経って大分慣れてきていたが、本番で落とし穴が。襟のない服でこれまで練習してきたため気づかなかったのだが、胴体側面と首との摩擦がなくなると、これまた滑りまくって仕方ないのである。そのため、練習時よりもネックを深く握りこんでの演奏。具合が大分変わってしまって、これまでセーフだった所でも落ちたり外したりしてしまったし、さらに酷いことには、体への負担のかかり方が変わってしまって、今日は体のゆがみがものすごい。体は軋むし頭痛はするし気分はだるいし、もうどうにもならず、朝から寝ている。休みでよかったです本ト。
 しかし、これまでよく分からなかった、良くない体の使い方について、少し悟るところがあったので、それはそれで収穫である。その点についてはまた今度別の記事で。以前に書いた腕の各部の長さの比率に関わることなので、その続きとして処理しよう。

 本番で弾いた曲目はブラ1とショスタコ9番。案外どうにかなるもので、特にブラームスでは、ポジション移動時に楽器を顎で挟まなければならなかったのは、せいぜい2〜3箇所。問題はむしろ、ビブラートの際に楽器の揺れを制御するのが難しい点である。
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引き続きエネスコ

2009/05/06 13:56
http://www.youtube.com/watch?v=rvtyQY9YFDI&feature=PlayList&p=60FE21BFE76C1140&index=7

相変わらずエネスコが気になって仕方ない。伝記まで注文してしまった。入荷次第発送らしいが、全然音沙汰なし。


George Enescu: His Life and Music
Toccata Pr
Noel Malcolm


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エネスコの曲は、ルーマニア狂詩曲とクレメラータ・バルティカの8重奏曲とかしか聴いたことがない。
こうしてエネスコ本人の演奏を聴いてみると、クレーメル版はやはり個性的すぎてあまり参考にならないらしい。それはそれで凄いんだけども、どうもね。ピアソラ編曲だけの事ではなかったらしい。
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動画など

2009/05/06 13:42
これはかなわん。




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アジャスター

2009/05/02 05:37
先週末、注文していたアヂャスターが届いたので、早速装着。別に注文していたEvah Pirazzi も既に届いてたので、こちらも交換。しかし・・・。

 このタイプのアジャスターの利点は、駒−TP間の弦長が他の弦と同じになる、ということなのだが、しかし実際つけてみると、TP枕からの浮き具合が酷く、駒での位置で曲がる角度が、他の弦とまったく変わってしまう。
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結果、全体のバランスで、D線の枕位置がもっとも低く、角度もきつくなり、逆にC線の枕位置は高くなって角度はゆるくなり、それと同じぐらいにA線の位置も高く、左手で弦を押さえた感じはD線が抑えにくくて、ものすごくバランスが悪くなってしまった。
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さらにEvah Pirazzi はやけにテンションが強く、おまけに弦が細身なので、左手が疲れて仕方がない。
この前までふた月ほど、C・D線がスチール、A・D線はシンセティック芯の弦で、アジャスターも使わず、という条件で、各弦のテンションバランスも悪くはなかったので、とにかく強烈な違和感だけしかない。
 とりあえずアジャスターを外し、穴にボールエンドを通して普通に張ってみると、テンションバランス自体は良くなったが、しかし弦自体が細くて張力が強く、押さえづらいのは確かなので放置は出来ず、A線はスチールで、反応過敏で調弦困難なので、どうしてもアジャスターは欲しい。

 ということで、早急に対策を試みてみた。

 @テールガットを少し緩める。
 Aテールピースを抉って、アジャスターを半埋め込み状態にする。
 B諦めて元のアジャスターを使う。
 C元のアジャスターの弦長・角度が均一になるように、後ろのほうに取り付ける。

結局、Cの段階にいたって、感動的とすら言える成功を収めた訳なのだが、そこにいたる過程というものがある訳で、その辺を少し詳しく。


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 そもそもの張力が強すぎる様だったので、最初の根本対策は@テールガットを緩める。
 張ったままの弦がばらけないよう、マスキングテープで弦をネックに縛り付け、すべての弦を緩めて、おずおずとテールピースをはずす。魂柱が倒れると面倒なので、慎重に楽器ケースに安置。そしてテールガットの留め具を緩める。ここまでは通常どおり。

 今回注文したアジャスターは、弦がテールピースから浮き上がってしまっていることが問題だったので、次の対策はテールピースの抉り処置。この処置は、テールピース自体がそこまで厚いものではないため、せいぜい2mm程が限度。おそらくそれでは足りないのだが、様子を見なければどうとも言えないので、とりあえず実行することに。
 取り付けた状態で、細いシャーペンで輪郭を写す。はずした後、ナイフと細工ノミで加工。細かい作業だが根気よくやりましょう。大体形が出来たら、実際に着けたり外したりしながら、収まりがよくなるように微調整。
 ここでついでに、前から気にしていたテールピースのアールを少しきつくする作業。C線が1mmちょっと低く。

 何とか実際に取り付けられる状態になったので、実際に装着して検証。しかし半ば予想した通り、そこまで大きな効果は出なかった。これはもともとの高さのほかにも、ボールエンドを引っ掛ける爪の部分が枕に当たってしまって、枕をそのままにしたままでは、それ以上低くすることは出来ない、というのが一因。いっその事枕を完全に除去してしまうという手もアリっちゃアリだが、失敗したときの修復はかなり面倒になるし、アジャスター無しという選択肢も残しておきたいので、そのままに。

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 第一の対策はあまり上手くいかなかったので、方向転換してとりあえずB元のTP付属のアジャスターを装着してみる。

 しかしこれも、弦長が短くなって張力は緩くなるのだが、角度自体は新しいのと対して変わらず、総合的な結果としては、余計にバランスが悪くなってしまった様な気さえする。1月末、実験TPを作ってみるまで、ずっとこれでやっていたのが、とても信じられない。アジャスターなしでしばらくやってみた後だと、どういう風におかしいのか、というのが少し意識できるようにはなっているらしい。

 アジャスター無しと有りで違うのは、まず弓の入力に対する反応。有りの場合、他の弦と同じような力の入れ方のバランスで弾くと、少し弦が暴れてしまい、コントロールが難しくなる、という感じがある。とくに、レガート、アルペジオ、重音などで、A線とD線のバランスをとるのが、難しくなる。しかも、ただ音量の出方のバランスが変わるだけでなく、同じセットの弦でも音色の傾向が変わるし、今回は特にA線だけスチールなので、極端に言えばA線だけ別の楽器を弾いているような感じすらある。(ただしA線だけスチール芯というのは、アジャスター自体がそもそもVnの金属E線の微調整用に発明されたものらしいので、別におかしなものではない。むしろ、ガットやシンセティック芯の弦に、しかもA線だけに使うのが不自然で、アジャスターのねじの可動域がやたらに広くなっているのも、本当はおかしい。後述するが、Pirazzi のスチールAでは、ボールエンドの位置が1mm程度動くだけで、4半音分ぐらいの調節が可能であると分かった。)

 また別の点で異なるのは、やはり左手で弦を押さえたとき、更には放すもしくは弾いたときの反応の具合である。押さえたときの違いでは、指を当てる角度が、アジャスター使用時のほうがより垂直に近くする必要があるように感じられる。ただしこの点は個人差も大きそうなので、断言は控えておく。また、そうなってしまう理屈もはっきりしない。
 指を離すとき、特に弾くときの反応のしやすさは、明らかにアジャスター無しのほうが優れている。駒までの弦長を
短くした際、特にD・G線では反応しやすくなったが、その基準から更にアジャスターを着けてしまうと、今度は緩くなりすぎて、抵抗が少なくなるのか、弦が指にまとわりつく度合いが大きくなるようで、なかなか弦が指を離れてくれず、弾くモーションが大きくなってしまうようである。

(バシュメットはじめ、すべての弦にアジャスターを使用している奏者はたまに見かけるが、それは、スチール弦を使っているといういう以外に、このような各弦のバランスの問題もあるのかもしれない。)


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 話がずれてしまったようであるが、次の対策の発想にも寄与するところが大きい観点であったので、ご容赦願いたい。

 これまでに試したものは全て上手く行かなかったので、最後に行ったのが、C普通よりも後ろに普通のアジャスターを取り付ける、というものである。
 作業としては、

 @元の穴の位置より後ろ、強度に問題が出ない程度に距離をとって、新しい穴を開ける。
 Aボールエンドの位置をなるべく枕に近づけられるように、駒寄りのTP本体に切り込みを入れる。
 Bボールエンドが枕のすぐ前に来て、他の弦と角度が同じになるようするため、アジャスターの角度がちょうど良くなるように穴の入り口を微調整して、TPの裏とアジャスターの間にコルクなどを挟む。

 
 先にも書いたように、効果は劇的であった。一本だけスチール線であるにもかかわらず、音量、音質のバランスが取れているし、レガート、アルペジオなどのつながりも自然に作りやすい。重音でもA線に程よく抑制が効き、A・D間のバランスが取りやすい。3・4本弦の崩した和音から最高音がそのままメロディーになるような弾き方(バッハの無伴奏チェロのアルマンドとかその他いろいろ)では、A線だけが飛び出してしまわない様に気を使い過ぎる、ということがなくなる。「和音の中から自然に生えてきたメロディー」という、とても大事なニュアンスが、大分楽に出せるようになる。

 こうした変化は、多分そもそもの弦のクオリティ自体がいい(1万5千だぞ?消耗品を分割払いするなんて、一体何事か)、というのも理由の一つではあろうが、しかしそれを発揮できる条件というのは、この改造で相当程度改善されたようである。
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